デザイナーのための著作権入門

デザイナー・クリエイターのための著作権って何だろう︖

著作権はどのようなものについて生ずるのか

著作権法では「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」に著作権が発生するとされている。これだけを読むと、著作権は芸術や学問の香り高い大層なものにしか発生しないように思ってしまうが、実際には、[人の思想または感情]とは、およそ「人の精神活動」一般をいうものとされているし、ある裁判例の⾔い⽅を借りれば「人真似でないという程度」のものであれば「創作的」なものといえる。

また、「文芸」云々に付いても、法律は芸術的あるいは学術的価値の有無には関知しないので、結局のところ、およそ、人が何か目的を持って書いたもの、描いたもの、撮ったもの、音を並べたものは、これらのどれかの範疇に入ることになる。

著作権はいつ・どの様に発生するのか

著作権は、著作物といえるものが創作されたとき、その瞬間に自動的に発生することになっている。

特別な登録手続きは要らないし、いわゆる「著作権表示」をする必要もない。(もっとも、一部の外国で保護してもらうためには不可⽋)また、その作品が公表されることも、公表するときに自分の名前やペンネームを書くことも、そもそも公表することを目的として作られたものであることすら必要ない。

もちろん、いわゆるプロの作品だろうと、アマチュアの手慰みであろうと分け隔てなく著作権は発生するし、極端に⾔えば⽇記帳の文章だろうと落書きに近いようなスケッチであろうと、前に述べたような創作性さえあればよいというわけだから、結局は人間が書いたり、描いたり、撮ったりしたものについてはよほど短いありふれたものとか単なる事実(データ)の類いを並べたものでない限り、著作物であり、著作権が発生していると考えた⽅が安全である。

誰が著作権者になるのか

著作権は原則として「現実に創作活動をした人」に発生する。

誰が著作権者になるのかイラストを例にとると、現実に鉛筆やロットリングやマーカーやエアブラシを手に
持って描いた人である。企画を⽴てたり、アイデアを提供したり、資料を集めたりしてもそれだけでは著作権者にはなれない。

何故かと⾔うと、著作権というのはアイデアではなく現実に表現されたもの、もっとわかりやすく⾔えば「書かれた文章」「描かれた絵」そのものを保護するのであって、特許権などとは違って、アイデアを保護する制度ではないからである。

まして、描かせただけの人は、後で述べる職務著作は別として、たとえその時に千⾦、万⾦を積んだとしても『最初の』権利を取得しない。

ここで『最初の』とわざわざ⾔ったのは、もちろん相手が「ウン」と⾔えばの話ではあるけれども、他人の著作権を買うことができるからである。でも、 『著作権』を最初から持つのと『著作権』を買うのとでは、後に述べるように大きな違いが出てくる。

以上のように、原則として創作した人が著作権者となって著作権を手にするのであるが、その大きな例外として、職務著作と呼ばれるものがあり、以下の条件が全部満たされる場合には、実際に書いたり描いたりした人ではなくて、描かせたりした⽅の、法人その他の使用者側が著作権者になる。

●法人(それとほぼ同等の運営がなされている組織を含む) その他の使用者(雇い主と考えてよい)の発意に基づいて作られたものであること。

むろん、本当の最初の思いつきは社員が出したものでも良い。

しかし、例えば会社として「創ろう」と⾔う意思決定は必要であって、たまたま社員が創ったものを「あっ、これいいじゃん」といって会社で売った場合はこれにあたらない。

●その使用者の業務に従事する者が創ったものであること

この「業務に従事する者」とは、問題となる著作物が創られた時期を含むある程度の期間、その使用者と雇用関係やそれと同視できる程度の⽀配ー服従関係にある者が創作したことが必要なので、いわゆる外注の場合は原則としてこれに当てはまらず、発注した側ではなくて、受注した側が著作権者となるので注意が必要である。

●その使用者のための仕事の上で創られたものであること

会社なら「会社の仕事」の一環として創ったものである必要がある。たまたま社員が時間外にしかも趣味的に作ったような場合は、その著作権は原則通り社員に帰属する。

●その使用者の名前で公表するものであること

裁判例では「将来公表するとする法人名で公表するものを含む」としているが、いずれにせよ公表するときには使用者の名前が著作者として表示されるようなものでなければならない。

逆に、これらの条件が一つでも⽋けると原則に⽴ち戻って「現実に創った人」が著作権者となることになるわけである。

著作権者にはどのような効⼒があるのか

著作権者には、法律でいろいろな権利が認められているが、大まかに⾔えば「著作者人格権」と呼ばれるものと狭義の「著作権」に分けて考えられる。

この著作者人格権としては、大まかにいうと作品を公表するかしないかを決める権利(公表権)、公表に当って名前を表示するかどうか、また、表示する場合、実名を使うかペンネームを使うかを決める権利(氏名表示権)、そして勝手に他人に作品を変更されない権利(同一性保持権)が認められている。

一⽅、狭義の「著作権」はいわば著作物を「財産」として利用する権利で、その中核とも⾔えるのが「複製権」、つまり、いろいろな形態、あるいはメディアによって「コピーする権利」、より正確には「コピーすることを許す権利」である。現に英語ではコピーライトということからもわかるように映画を別として有償貸与等のいわば「流通」を著作権者がコントロールできるようになったのはそれほど昔ではない。

このような複製権の効果として他人は「コピーすること」を許してもらうか、おおもとの「著作権」それ自体を譲渡してもらうかしなければ勝手に本に載せたりして複製することはできず、これに違反したときは損害賠償をしなければならないばかりではなく、事情によっては刑事罰の問題も生じうる。

もちろん、「かくかくの本に載せるので描いて下さい」と頼まれて描いた絵を相手に渡した場合、その「かくかくの本」に掲載すること自体は問題がない。

問題が起こるとすればその先である。つまりその際、著作者が「その本に掲載すること」を許しただけなのか、さらに著作権自体やその一部である複製権を譲渡したのか次第で前者ならば刊⾏物の発⾏者は他の刊⾏物にその作品を転載することが出来ないのに対し後者ならばこれが出来る事になるので双⽅の利害が分かれるからである。

本来ならこういうことは最初からきちんと契約書に記載して決めておけば問題が起こらないのだが実際は案外このあたりのことが明確にされていないことが多いので、それが著作権を巡る争いの生ずる大きな原因の一つとなっている。

当事者の話し合いで問題が解決しないときは裁判所に決めてもらうほかないわけであるが裁判所はこれを受けて現実に授受された対価が創作に要したコストに⾒合ったものであるかどうかとか通常の著作物の使用料に比べて高いか安いかとか著作者にとって問題の作品が他に利用可能かとか、従来の慣⾏とか、色々な観点からみて、判断することになる。

もっとも、法律的には著作権なり複製権が譲渡されたことは「確かに自分が譲渡を受けた」と主張する側が証明しなければならないことになっているので「どちらかわからない」ときは結果的には著作者の⽅が圧倒的に有利となる。

著作権者には、法律でいろいろな権利が認められているが、大まかに⾔えば「著作者人格権」と呼ばれるものと狭義の「著作権」に分けて考えられる。

この著作者人格権としては、大まかにいうと作品を公表するかしないかを決める権利(公表権)、公表に当って名前を表示するかどうか、また、表示する場合、実名を使うかペンネームを使うかを決める権利(氏名表示権)、そして勝手に他人に作品を変更されない権利(同一性保持権)が認められている。

一⽅、狭義の「著作権」はいわば著作物を「財産」として利用する権利で、その中核とも⾔えるのが「複製権」、つまり、いろいろな形態、あるいはメディアによって「コピーする権利」、より正確には「コピーすることを許す権利」である。現に英語ではコピーライトということからもわかるように映画を別として有償貸与等のいわば「流通」を著作権者がコントロールできるようになったのはそれほど昔ではない。

このような複製権の効果として他人は「コピーすること」を許してもらうか、おおもとの「著作権」それ自体を譲渡してもらうかしなければ勝手に本に載せたりして複製することはできず、これに違反したときは損害賠償をしなければならないばかりではなく、事情によっては刑事罰の問題も生じうる。

もちろん、「かくかくの本に載せるので描いて下さい」と頼まれて描いた絵を相手に渡した場合、その「かくかくの本」に掲載すること自体は問題がない。

問題が起こるとすればその先である。つまりその際、著作者が「その本に掲載すること」を許しただけなのか、さらに著作権自体やその一部である複製権を譲渡したのか次第で前者ならば刊⾏物の発⾏者は他の刊⾏物にその作品を転載することが出来ないのに対し後者ならばこれが出来る事になるので双⽅の利害が分かれるからである。

本来ならこういうことは最初からきちんと契約書に記載して決めておけば問題が起こらないのだが実際は案外このあたりのことが明確にされていないことが多いので、それが著作権を巡る争いの生ずる大きな原因の一つとなっている。

当事者の話し合いで問題が解決しないときは裁判所に決めてもらうほかないわけであるが裁判所はこれを受けて現実に授受された対価が創作に要したコストに⾒合ったものであるかどうかとか通常の著作物の使用料に比べて高いか安いかとか著作者にとって問題の作品が他に利用可能かとか、従来の慣⾏とか、色々な観点からみて、判断することになる。

もっとも、法律的には著作権なり複製権が譲渡されたことは「確かに自分が譲渡を受けた」と主張する側が証明しなければならないことになっているので「どちらかわからない」ときは結果的には著作者の⽅が圧倒的に有利となる。

ただ、複製権の場合はもちろん、著作権が譲渡されたとしても先に述べた著作者人格権の⽅は譲渡されるわけではないので(法律に明記されている)、たとえ著作権を譲り受けたとしても作品の中のサインを勝手に削ったりすれば先に記した氏名表示権の侵害となるし、作品をトリミングしたり着色したりさらには勝手に書き換えたりすることは同一性保持権の侵害となるから著作者は損害賠償(主に慰謝料)が請求できるし、現にイラストを外注した発注者が勝手にそれに加筆してみたり一部色彩を塗り替えた事例で裁判所から損害賠償を命じられた事例もある。

著作権はいつまであるのか

通常の著作物を例にとると個人名で公表された著作物の場合は実名とか誰でも知っているようなペンネームで公表したものに付いては作者の死後50 年で著作権は消滅することになっている。

これに対し、名前を公表しなかったり本当はどこの誰の作品だか判らないようなペンネームで公表されたり法人などの団体名で公表されたものや映画、写真(映画の1 コマを写真にしたものを含む)の場合、公表されてから50 年(創作後50 年以内に公表されなかった場合は創作後50 年)で著作権は消滅することになっている。

もっとも、これらの期間は国によってまちまちなので、外国で公表された著作物を利用しようとするときはその国の著作権の保護期間を調べる必要がある。

出典元︓木村 孝氏